今日も朝、目を覚まし、手を合わせ、朝ごはんをいただく。当たり前のようで、とてもありがたく、幸せなことです。

朝ごはんを目の前に、そこにはどれだけ多くの人たちの汗水流した努力と苦労の結晶が込められているだろうか。

必死に田んぼを耕し、長い時間をかけて苗からお米を作るお百姓さん。雨の日も風の日も、天候に左右されながらも、畑を耕す野菜農家さん。荒波のある海に出て、魚をとる漁師さん。また、その食材を全国に運ぶ人がいて、ご飯を盛り付ける器や料理器具を作る職人さんがいて、そのご飯を作る人、盛り付ける人がいて。と少し考えただけでも、多くの人たちが関わっています。

朝ごはんのように、どんな事も必ず様々な要因が関係し合って存在しています。これを仏教では、縁起の法(『おかげさま』)といいます。私たちの心臓さんは、自分の意思とは関係なく、私たちが寝ている間も、休まず動いてくれますが、私たちの命があるのも縁起の法『おかげさま』です。

私たちの命があるのは、父母の命が二つ、おじいちゃんおばあちゃんの命が四つ、曾祖父母の命が八つ必要でした。もっとさかのぼってみますと、十代前で1,024人、二十代前で104万8,576人、四十代前で1兆995億1,062万7,776人。会ったことはなくても、思いをめぐらしてみてください。自分たちのはるか昔のご先祖さんを。

人は、一人で生きているわけではありません。本当に多くの命のもとに、今、尊い命があるのです。

そして、私たちは、その命を生かすために、野菜以外にも肉や魚といった動物たちの命をいただき、私たちの命をつないでいます。そんな私たちの命をつないでくれる動物たちの命や尊い食材に対して、選り好みして、あれがいいだの、これは食べたくないなどと、傲慢なことが言えるだろうか。いや、言えるはずもない。

むしろ、生かしていただいた自分の命をこの社会で輝かし、世のため人のために貢献していくことが、食材への一番の供養となるだろう。

私の修行していてた永平寺では、いつも食事の前にこういった(縁起の法)を胸にとどめ、食事をいただきます。

人は生きているのではなく、生かされているという存在の真理(おかげさま)を噛みしめ、命の感謝し、さあ今日も、温かい朝ごはんをありがたくいただきましょう。合掌